2010年7月24日土曜日

Apr, 2001.オブジャンビーチで夜の焚き火塾

この日は、朝から抜けるような青空と真夏の太陽、サイパンの日本晴れとでも言いましょうか、ダイビングに出かけないのは、なんとも勿体無いような良いお天気でした。でも、ダイビングよりも大切なテーマが、カシラと塾長の前に立ち塞がっていました。

  クラブハウスから眺めるマニャガハ島は、右の写真のように、青から水色へのグラデーションの中にくっきりと浮かんでいました。
ドリル、ノコギリ、ドライバー、ペンチ、などなど、いっぱいの道具が詰まった箱を持ち出し、クラブハウスの裏庭で、塾長は朝からビールを飲んでいました。ただ飲んでいたのではありません。ある道具の構想を練っていたのです。それは、原始人が使ったであろうと言われている『火熾し器』。


  エースに出かけたカシラに、携帯で材料追加のオーダーを出しながらも、ビールの空き缶のみが増えてゆきました。米国式ノコギリ、引くのではなく押して切る、これには参りました。日本人である事を再認識させられた道具でした。
ドリル、ノコギリ、ドライバー、ペンチ、などなど、いっぱいの道具が詰まった箱を持ち出し、クラブハウスの裏庭で、塾長は朝からビールを飲んでいました。ただ飲んでいたのではありません。ある道具の構想を練っていたのです。それは、原始人が使ったであろうと言われている『火熾し器』。


  エースに出かけたカシラに、携帯で材料追加のオーダーを出しながらも、ビールの空き缶のみが増えてゆきました。米国式ノコギリ、引くのではなく押して切る、これには参りました。日本人である事を再認識させられた道具でした。

 














 ダッチオーブンの中は野菜カレー、『炎の見張り番』提供の調理スタンドには、炎のシェフ、カシラの奥方が心をこめて準備をした香ばしいチキンが、針金で吊り下げられ直火に輝いていました。
  


このチキンはおいしかった。飲むだけで小食の塾長が、ペロリと1塊たいらげてしまいました。下ごしらえ・味付けなどは、ぜひとも炎のシェフに聞いておきましょう。

  飲んで食って、あぁ満腹と思ったとき、ふと空を見上げると、いつものように満天の星空でした。

報告 焚き火塾長

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